ミスティック・リバー
アカデミーノミネート作品鑑賞第1弾
『ミスティック・リバー』。
観ているうちに、どんどん問題がすりかわっていく。
シェイクスピアのようでもあり、
ギリシャ悲劇のようでもあり、
西部劇のようでもあり。
ただ、西部の町に吹くような
カラカラに乾いた風はいっさい吹かず、
町の空気はじっとり澱んで流れません。
「人生の早い時期にババをひくことが決まってしまうと、
その後どんなにがんばっても運命は逆転できない」
という、これもアメリカなんだっていう、
そういう怖い映画を
イーストウッド監督は撮ってしまったのではないか、
という気がしました。
この町も、教会に集う人々の笑顔とか、楽し気なパレードとか、
そういう表面的に平穏な暮らしのすぐそばに
濁った川が流れていて、
その底に葬られたものは二度と浮かびあがってきません。
怖いです。
でも、もっと怖かったのは、その川が
「それを越えて外へ出て行った人間を二度と受け入れない」
ようにみえたこと。
遊び友達だった3人の少年。
長じてふたたび接点を持っても、
いくつかのシーンで出てくる
「あいつは友達じゃない」的な台詞で切り離されてるのは、
刑事になったショーン(ケビン・ベーコン)だけなんだよね。
被害者の父=ジミ−(ショーン・ペン)と
被疑者=デイブ(ティム・ロス)の関係のほうが、
まだ体温がある。
ショーンは外へ出て行った人間、
ジミ−とデイブは町に留まった人間。
よそ者に対する暗黙の疎外。
でもなあ、それでもいいからデイブこそ、
子供のときの事件のあと、町を離れてしまえばよかったね。
そうしたら、もしかしたらだけど、
「生き返る」ことができたかもしれないのにね。