こまりさんの、はらぺこ手帖。

なんでもないようなことが、しあわせなんだとおもう。

ナナとハチ


映画『NANA』。20歳の女の子の日常に果たしてついていけるのか、観にいくのを随分迷いました。歌うために故郷をあとにしてきた大崎ナナ(中島美嘉)と、恋を追って東京をめざす小松奈々(宮崎あおい)。雪の日、列車のなかで偶然隣り合わせた同い年のふたりの「ナナ」は、ふたたびの偶然で同居することになります。物語を進行するハチ(奈々)の語りが「ねえナナ。あの頃、わたしたちは…」という過去形なのがなんだかすこし寂しくて、つかの間の時間を切り取ったような青春映画のせつなさも感じました。原作の漫画はまだこの先があるのかな。いや、原作のファンの人からみたら、おそらく映画はまったく別物になっているのだろうな。ともあれ、日本映画の台詞の集音はどうしてわざとらしい音色になっちゃうのかなとか、それはそれとしても許し難い声ってあるもんだなとか、落としたお皿は拭いてからしまってほしいとか、携帯電話はデッキでお願いしますとか、あおいちゃんの顔にそのマスカラは不必要すぎるとか、宅配屋さんも7階まで階段はたいへんだなとか、いろいろ他愛もないことを思ったりしながら観ていたのですが、ハチの恋人・章司(平岡祐太)の浮気現場に遭遇し、ハチの代わりにナナがキレて食ってかかっていくあたりからぐんぐん引き込まれていきました。泣きじゃくって前後不覚のハチの手をひいて帰り、ベッドに潜ってからも泣き続けるハチを、毛布の上から黙って抱き締めるナナ。クールにみえる彼女の、その一連の優しさは胸にしみます。一度は終わっていたナナと蓮(松田龍平)の関係も、あんなふうに希望のある形で未来へつながっていくとは。ナナは蓮に「前みたいに一緒に暮らすことはできない。でもときどき会って、抱き合ったりお互いのことを話したりして、それでずっと歳をとったら、私もまたあの部屋に戻っていい?」というようなことを聞きます。これ、理想的な関係かもしれないなあ。中島美嘉さんがとてもいいと思いました。今まで、メイクが怖くていまひとつ親しみを持てなかったことが悔やまれる。ナナが座り込んでしまうシーンが2度あるんだけど、そのどちらもすごく来るんですね。東京へ出て行く漣をホームで見送った過去の場面と、「鍵」を返しにいったホテルのエレベーターの前と。ああ、考えてみると、いいなと思う構図って2回ずつ出てきてたなあ。偶然の出会いも2回、ライブの最前列でハチが目を輝かせる場面も2回、凹んで帰ってきたハチをナナと仲間たちが温かく出迎えてくれる場面も2回。ラストの707号室の空気にホッしてちょっと泣けました。優しい映画をありがとう。