こまりさんの、はらぺこ手帖。

なんでもないようなことが、しあわせなんだとおもう。

浮標

舞台『浮標(ぶい)』を観てきました。
三好十郎原作、長塚圭史演出。
 
日中戦争の頃合い、
結核を患った妻(原田夏希)を懸命に看病する
絵描きの男(田中哲司)が主人公です。
 
黒い舞台を四角く掘って白い砂を敷き詰めた
二村周平さんの美術がシンプルで美しい。
その砂場は絵描きの家の畳の部屋になり、
庭になり、家から離れた砂浜にもなる。
上品ながら泥臭い登場人物たちの会話は
2度の休憩をはさんで実に4時間にもおよびます。
 
とくに、池谷のぶえさんが演じていた
妻のお母さん、
死にゆく娘を愛しているのも本心、
だけど財産分与のことで頭がいっぱいなのも本心、
その塩梅がとてもリアルで、
痛いけど、憎めませんでした。
 
タイトルの「浮標」(ぶい)は、
主人公夫妻が信頼する医者が妹を伴って訪ねてきた砂浜の場面、
もうシーズンオフの寒い海で泳いでいるのを
妹が浜辺で
  
「あそこにいますよ、赤い浮標の、すこし右のところ」
 
みたいなことを言いながら指差す場面で
初めて出てきたかと記憶しています。
ほかにも出てきていたのを見逃していたらすみません。

海に浮かぶ浮標は
命の指針になるものなのにぷかぷかしてとても頼りなく、
誰かが生きるために信じてようとしている
いろいろな「浮標」も、
前提が揺らいだら
とたんにどこかに流れていってしまうような
そういう頼りなさを象徴しているのかな、と思ったり。
 
しばらく考えてみることにしました。