こまりさんの、はらぺこ手帖。

なんでもないようなことが、しあわせなんだとおもう。

震災と放射能のこと

これ、いきおいでつぶやいてもうた
ツイッターの再録です。
消えちゃえばいーなとも思ったけど、残しておく。


−−−−−


これなー…私、こういったことで
自分の意見をうまく伝えられたためしがないので
つぶやいたら激しく後悔するかもだけど、
今日、考えを整理したくなる出来事があってずっと考えてたから、
ちょっと書いてみますけども。


放射能のことね。


東京で体験した3.11の「怖さ」なんか、
今では「怖」って字をあてるのがおこがましいくらい
なんでもないものだったような気がするし、
余震やマンションの壁の伸びてくヒビにびびってたら
海外からいとこ姉妹が缶詰とか送ってくれて
「もーあなたがしっかりしなさい」と叱られた(笑)。


すごく記憶に残ってるのは、
地震のあと最初に携帯に着信した
広島のともだちの「大丈夫?」のメール見たときの
ほわっとした気持ちと、
夜まで職場のテレビで繰り返し見た映像と、
母の友人の名前を避難所の名簿でずっと検索してた土日の
うまく説明できない時間の流れみたいなもの。


あと、福島に住む友人から「無事だよー!」と届いた返信メールで、


「ちなみにねえ、
 ニュースの地図で円の中に入ってないんだけど、
 私の家、避難勧告出てるんだよねえ」


っていう「明るい」文面を見たときに、
そういうことだよね、と改めて思ったんですよ。


こんなに伝達ツールが発達した21世紀になってもこれじゃあさ。
人間は手先が器用でいろんなもの作れる動物だから、
ある意味ではまだまだ伸びしろはあるとは思うんだけど、
一方、人間が作ろうとしてきた「社会」の限界ってのは
戦前のラインが限界だったのかよと。


「電気」は、水とか空気とかと同じように、
誰かが「人間には必要なものなのですから」っつって、
大いなる無欲な心とシンプルな方法で分配してくれてて、
自分はそれにみあうお金を淡々と払っているんだとばかり思っていた。
専売だの、利権だのって単語とは
別のページに載ってる単語だと思ってた。


びっくりしました。
したけど、じゃあどーすんのって話なのね。


なんだかんだ思ったわりには変わらず東京に住んでいる、
というだけで傷ついてしまう友人がいます。
関係を絶ってきた知人がいます。


なんでなの?


大きなリスクを覚悟して
住みなれた場所を離れ「避難」している方々の、
子供のためにという愛情の深さと行動力には
いつも圧倒されています。
尊敬もしています。
ただ、私は独身で子供もいないから、
同じ考え方ではないし、
フットワークも違うわけよね。


私にとっては、
自分の余生(いまのところあると想定している)の先行きや、
歳を重ねて私よりさらにフットワークの鈍い両親が
とってもだいじなのね。


それに、放射能放射能と騒いでる間に、
遠く離れた海外に住む缶詰を送ってくれた従姉妹は、
1年もたたないこないだ、
病気で簡単に亡くなってしまったよ。


そういうもんなんだよ。


原発の再稼動なんかありえないだろう、
「地震や津波は想定してなかった次はうまくやります」とか
なにいってる===3!と思うし、
自分も数年後にリンパ系の癌になって
あっというまに死ぬこともあると考えるけど、
だからって変なポエムみたいなツイート拡散の輪に参加するのは
違うかなと思ってる。


抵抗力の低いお子さんを心配されて「避難」という道を選択した
おかあさんたちの気持ちは尊重したい。


けど。


おかあさんがいつも悩ましい怖い顔で、
意見の違う人と喧嘩してたら、
それもむしろ子供のことより
子供を心配してる自分をアピールすることに
1日の大半の時間をさいているたぐいの親御さんだったとしたら、
子供のほうは、
自分は日々成長していくのに
太陽の光を浴びて友達と走り回ることもできず、
ごはんもある種のポリシーある大人が食べるような
超自然食ばかり食べさせられて、
そんなんじゃ放射能に因する癌にはならなくても、
将来、別の病気になってしまわないかと思うんだよ。


とかそんなことを思ってたら
1年ちょっとたってしまったよねえ。
たぶんわたしの頭がどっか固いんだ。


もっと勉強したいと思っています。


おわり。