こまりさんの、はらぺこ手帖。

なんでもないようなことが、しあわせなんだとおもう。

東北地方太平洋沖地震

まとまらないと思いますが、
覚えていることを書き留めておきます。


免震建築のビルの11階にいたので
デスクにつかまっていても振り落とされ、
机の下にはいっても袖机が迫ってきてとても怖かったです。


そのまま、フロアに1台のテレビとワンセグ、
ネットで情報を追いながら、
みんなで励まし合い、余震をやりすごして仕事を続けました。
早く、低くて広いところに出たいとばかり思っていました。
でも、ひとりでいるよりよほどよかったと思います。


電話がまったく通じなくなりましたが、
携帯のメールはしばらくして通じるようになり、
各地に住むおともだちから「だいじょうぶ?」と
メッセージが届いたのがほんとうに嬉しかった。


数時間たって外からはぽつぽつとかかってくるようになり、
すこし安心しました。
こちらからはなかなかかからない。
家にもかからないので、両親がどうしているか心配で
帰りたい気持ちでいっぱいでした。


会社からは各部署へなんの放送指示もないまま
管理部門の女性たちだけが早退をはじめたのには
ちょっと驚いた(大丈夫だろうかこの会社…)けど、
電車が動くまでフロアに待機する人のために
隣のシマの男性陣ががんばって買い出しをしてきてくれたり、
方々へ声をかけて励ましてくれる人がいて
頼もしかったです。


18時すぎ、ようやく家に電話がつながりました。
両親に怪我がなく、思ったよりも元気そうで安心しました。


幸い、もともと徒歩通勤の私は、19時半過ぎに社屋を出ました。
エレベーターは動かないので、階段で1階まで。
全フロアーでコピー用紙を積んだりゴミ箱をつっかえにして
ドアを開け放してあって、
いつも使っているのと同じ階段とは違う感じがしました。



通りは、ものすごい人です。
たとえていうなら、
野球が終わったばかりの球場の外くらいの人混みが
通りの端から端まで続いています。



そんななかで、通りの向こう側から名前を呼んでくれた人がいて、
誰かと思ったら高校の同級生のみくちゃんでした。
彼女も歩いて帰るためにそこをたまたま通ったところ。
ご縁があるのだなと思い、
知った顔を見てほんとにホッとしました。


家についたら、壊れたものも少なく
両親も、最初の揺れは相当怖かったようでしたが
それほどのショックを受けていなくてホッとしました。
2階の部屋なので、それほどの揺れがなかったようです。


むしろ、私の感じた揺れとの温度差がありすぎるようで
怖かったことを話してもそれがあまり通じず、
ちょっととまどっています。