オレンジのようなもの
赤坂ACTシアターに
『時計じかけのオレンジ』を観にいきました。
主演:小栗旬。
演出:河原雅彦。
マチャヒコ、やったな!
映画は、子供のときに観たからかもしれないけど
(っていうかあの映画、子供のときに観たらいかんよね)
キューブリックでは理解できなかったあれやこれやが
とってもわかりやすく頭にとびこんできて、
マチャヒコすげえって思ってしまった。
そのポイントはふたつ。
たしか、武田真治くん演じる老小説家が綴っている
「時計仕掛けのオレンジ」という小説のなかのくだり
(だった気がする、ちょっと記憶に自信ない)。
人間はもともと、果実のぎゅっと詰まった
みずみずしいオレンジのようなもの、
それが、時計仕掛けのおもちゃのように
意思のないものになったとしたら、それはもはや人間ではない。
それと、刑務所の酔いどれ神父@石川禅ちゃんの台詞。
強制的に選ばせる「善」に意味はない、
人間は、自分の意思をもって善悪を選んで
はじめて人間なのだ。
そういうことなんだよね。
どの人間も善悪どちらも持っていて、
どちらにも転び得る存在。
だから自分で意思をもって
よりよいほうを選ばなければいけない。
考えてみたら
『ハリー・ポッター』が描いているのも、そういうテーマ。
古今東西、文字や映像の訴えてきたものって
そういうことなのかな。
小説の書かれた1960年代からぐるっと一周したのに
結局世の中ってぜんぜん変わっていないんじゃないのって、
そういう不安も覚えたりする。
とにかく役者ぞろいの贅沢な舞台で
それだけでも見ごたえがあったけど、
とりあえずムロツヨシさんの破壊力は圧倒的ですね。
あと、
まさかの芸能生活20周年、武田くんが
すっかり「大人」になったにもかかわらず
やっぱり外人の子供みたいでかわいかったのと、
その再来みたいな高良健吾くんが
一所懸命で、なおかつ美しすぎた件。
ちなみに、高良くんの鼻筋から口元にかけてのフォルムが
元ジャニーズジュニアの武内幸太朗くんに
似すぎている件については、
今後、いったいどう処理したらいいのだろうか…(涙)。
いろんなことを考えすぎてへとへとになった
赤坂の午後でした。