こまりさんの、はらぺこ手帖。

なんでもないようなことが、しあわせなんだとおもう。

役者の狂気

『夢の仲蔵千本桜』。松本幸四郎、市川染五郎の高麗屋父子のお芝居です。「九世琴松」という名前で、幸四郎さんご自身が演出なさっています(九代目幸四郎だから)。再演ですが、初めて拝見しました。中村仲蔵(幸四郎)は実在の歌舞伎役者。「稲荷町」とよばれる大部屋役者から、江戸三座のひとつである森田座の座長にまで登ってきた男ですが、のっけから金貸しに言い募られてトホホだったり、愛嬌のあるキャラクターです。そして此蔵(染五郎)はその弟子、軽やかな身のこなしで人好きのする明るい青年。ところが、役者のひとりが首を吊ってから、この森田座に次々と不穏な事件が…。劇中ではいくつかの歌舞伎の場面がいいとこどりで演じられますが、そのひとつに、タイトルにも盛り込まれている『義経千本桜』があります。兄・頼朝に追いつめられ落ちのびていく義経と、その思い人である静御前の道中を護る忠臣・佐藤忠信。しかし実はこの忠信は、仔狐源九郎の化けた姿でした。義経が賜った鼓はこの仔狐の両親の皮で作られたもの、その鼓恋しさにつき従ってきたのです。ある意味、親の仇ともいえる義経に忠義を尽くす仔狐。真相を知り、あわれに思った義経が鼓を与えると、仔狐は涙を流して喜び、感謝を述べます。この義経と仔狐が、まるで仲蔵と此蔵みたい。周囲の強い風のなか孤軍奮闘する仲蔵。その仲蔵を、実は親の仇と憎みながらも同時に親以上に慕う此蔵。楽屋での言い合いで「最近の親方は狂ってない!」と子供のようにくってかかる此蔵と、すべてを察して苦悩する仲蔵の間には、愛していようが憎んでいようが切ることのできない絆がはっきりみえる。しかしそのふたりの現世での絆は、此蔵の死という悲劇で幕を閉じます。仲蔵が此蔵の手をとってつぶやく「冷てェ手だなあ」の悲しさ。だけど、その亡骸をそこに置いたまま、仲蔵は舞台に出ていくんですね。現実になにが起ころうが舞台。なにをおいても舞台。此蔵が言い募った「役者の狂気」っていうのは、こういう生きざま自体のことなのかもしれません。