こまりさんの、はらぺこ手帖

なんでもないようなことが、しあわせなんだとおもう。

法事

父方のおじさんが亡くなり、
二子玉川のお寺へ行きました。


父方はわりとあっさりした親戚づきあいの家系なので、
そのおじとも、それこそ冠婚葬祭の時しか
顔をあわせることがなかったような感じだけど、
でもいつも黙って笑ってるようなイメージの、
とてもとても優しいおじさんでした。


仏事が、ある種パフォーマンスのようで笑えるっていうのは、
こういう哀しさや寂しさを紛らわすためんでしょうか。
お経をあげてもらうときも、
今までのどの法事でも見たことのなかった小道具
あとからあとから出てきて、
あげく鍋のふたみたいな巨大シンバルで
ガクォ〜ンってやられた時には、
喪主のおばさんまで肩が揺れていた…。


さらに、お坊さんが四十九日の説明、
お亡くなりになりますとまず不動明王にお会いしまして、
みたいな説明をしてくれてすごく興味深かったんだけど、


「まあ私も見てきたようなことを申しあげておりますけれども、
 そもそも本当かどうかわからないというところもございまして」


には、一同大ウケだった。
若いけどいいお坊さんでした。
先人の想像力を駆使したひとつの哲学として、
仏教の説得力って認めざるをえないなあって、
こういうことのあるたびいつも思うわけです。